Francois-[

雲間から柔らかな日差しが降り注ぐ中、黒髪の銃士はノワジーの館を訪ねていた。
何週間か前に此処で在った惨劇を思い出し、その時の絶望が胸を過ぎり顔が曇ったが、
静かに頭を振ると声を上げた。

「誰か!居らぬのか?」

館の中の冷んやりとした空気は濃厚な緑の匂いを含み、全身を包む。
その中にやがて現れた蒼の瞳は驚きに開かれた。

「アトス・・・」
「しばらく振りだな」
「うん・・・」
「この館には他に誰も居ないのか?」
「王弟殿下のご指示で、限られた時間だけ通いで館の世話をする人が来るけど・・」
「そうか」
「・・・アトスはどうして此処に?」
「その王弟殿下の御指示だ」
「そう・・・」

応接の場に二人は移動する。

あの時、あの惨劇の後に飛び込んできた銃士隊長のトレビルによって、場は治められた。
そしてそれは王弟の知る処となり、その庇護によりこの館にかつて彼の教育役であった男を
保護することとなった。

世話役として名乗りを上げたのは銃士隊員のアラミスであった。
王弟もトレビルも難色を示したが、これ以上彼の存在を知る人間を増やす事もできず、
不承不承、承知したのだった。

「何か持ってくるから、少し待ってて」
金の髪を揺らしアトスを部屋に案内する蒼い瞳には疲労の色が滲んでいた。
その後ろ姿を見つめながら掛ける声を探していると、細い体が崩れるように倒れた。

「アラミス!?」
アトスが駆け寄り抱きとめると、驚くほど軽い。
生気を失った肌は抜けるように白くなり、意識を失った唇からは僅かな吐息が漏れていた。

気を失っただけと判り、少しだけ安堵する。
死を待つしかない、しかも愛した人間の傍に居続ける事の精神的負担は想像を絶する。
力の抜けた体を持ち上げると長椅子に横にし、二つの腕を体の上で組もうとした。

その時、目に入った肌色に違和感を感じた。

手首を不自然に隠す袖をめくると、鮮やかなまでの赤黒いあざがあった。
息を呑み、瞳を瞑られた顔を見返す。よく見ると首筋にも同じ色が見えた。
少しだけ、その襟口を開くと、"あの時"の痕ではない、
もっと新しい、おそらくは断続的に繰り返されているであろう蹂躙された痕があった。

アトスの顔がみるみるうちに怒りに歪む。

やがて崩れていた体に失われた意識がゆっくりと戻ると、うっすらと目を開ける。
自分を見つめる藤色の瞳が怒りに燃える意味を悟ると、露にされた痕を隠した。

「アラミス・・・」
体を竦ませ、アトスから顔を背ける。

「その痕は?」
「・・・」
「・・・あの男はまだ君を?」
「・・・」
「まさか、そんなはず・・・」

驚愕で、言葉を失う。
そんなはずは無い。
あの時意識を失い、二度と起き上がることなど無い体となったはずだった。

だが、うなだれたまま小さく震える姿を見て、アトスの脳裏に戦慄が走った。

「・・・まさか、彼に薬を与えたのか?」
「・・・」
「答えろ!」
「それは・・・」
「アラミス!!」

強く肩を掴み、無理やりに正面から目を見据える。
その斬りつけるような鋭い声に鈴のような声を震わせ、途切れ途切れ言葉を吐き出した。

「あ、愛されたかったの・・・彼に・・・、もう一度・・・もう一度でいいから」
「あの男は君を愛してなどいない!」
「・・・違う。彼は私を愛してくれてる・・・」
「ではこれは何だ!!?」

アトスはアラミスの手首を手荒く掴み上げると
袖を捲り、赤黒い痕を露にする。

「獣だ、あの男は!君が愛したフランソワ殿ではない!」
「違う・・・あれは彼じゃない・・・」
「何・・・」
「・・・い、いつか戻ってきれくれるわ・・・フランソワは・・・あの時・・・
この場所にフランソワは確かに居たもの・・」

あの時、月明かりの元に見た、優しい眼差しが忘れられない。
だから、僅かな希望に縋り薬を男に与える。
その度に陵辱され絶望に堕とされ、それでも欲情を吐き出した男が昏睡した姿を見ると、悪魔の囁きに捕らわれる。

体を震わせ、嗚咽を洩らし、涙を散らすその姿に言いようのない感情がアトスの胸を掻き毟る。

「・・・それが彼の命を縮めていると判っているのか?」
うな垂れたままの頭が小さく頷く。
「それでいいのか?君は」
「・・・」
「アラミス!」
「・・・ず、ずっと待ってた。どこかで・・・彼をずっと待ってたの・・・
だからお願い、私を許して・・・」
「・・・」
「許して・・・・・・」

外は日差しはいつの間にか翳り、冷たい雨が降り出していた。
止むことを忘れたように、いつまでもいつまでも降り続いていた。






*****









それから、何度か月が満ち欠けを繰り返したある静かな満月の夜、
冷たくなった躯を抱いて一人の女が夜風を浴びていた。

その蒼い瞳には何も映していなかったが、唇は少しだけ、満ち足りたように微笑んでいた。


(END)















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